坐禅会について

「その功徳、はかりつくすべからず。しかあればすなわち、よのつねに打坐する、福徳無量なり」『正法眼蔵 三昧王三昧』巻

曹洞宗の教えを日本に伝えた道元禅師は、「坐禅の功徳ははかりつくすことができない」そして「日常的に坐禅を行う福徳は無量である」と示されています。

平成20年5月から始まりました早朝の坐禅会は住職が最も力を入れている活動です。おかげさまで毎回30~40名のご参加をいただいています。坐禅の後は毎回住職の講話があります。

 

開催日時

毎月第1・第3日曜日(8月は休会です)朝7:00~8:10頃まで

参加のしかた

無料・予約不要です。坐禅に興味のある方であれば宗教宗派を問わずどなたでもご参加いただけます。当日6:55頃までには本堂にお入りいただき、空いている場所に座り靴下を脱いでお待ちください。靴下を脱ぐのは坐禅がしやすいようにということですので、冷え症の方は無理になさらなくて結構です。

7:00ちょうどから住職の坐禅指導が始まります。

坐禅する時間

20分間坐り、しばらく足を休めて歩き、15分間坐り終了となります。足が痛くて組めない方はあぐらや正座でもかまいません。型通りに坐れなくても、まずは本堂で静寂のひと時を過ごしてみましょう。

坐禅後は温かいお茶と住職の講話があります。

持参するもの

手ぶらでご参加いただけます。冬季間は暖房をつけますが、寒いと感じる方は毛布を持参して肩からかけていただいてもかまいません。

よくあるご質問

Q,坐禅をしていると後ろから棒で叩かれるのですか。

りき丸
叩きません。僧侶が持つ棒は「警策(きょうさく)」といい、坐禅中に眠っている修行僧を覚醒させる励ましの手段として用いられるものです。当寺の坐禅会では一般の方が眠っていてもいきなり叩かれることはありませんので、落ち着いた気持ちで坐禅の時間をお過ごしください。警策を希望される方に限り叩かせていただいています。

Q,坐禅にはどのような功徳があるのですか。

りき丸
坐禅は「無功徳」と表現されるため、功徳が無いと理解されることもあります。しかし正しくは冒頭に紹介した道元禅師の言葉にあるように「はかりしれない功徳がある」といいます。無功徳という表現は「社会生活における能力向上といった目的とは離れた行い」と理解するべきです。
りき丸
道元禅師の著された普勧坐禅儀に「諸縁を放捨し、万事を休息す」とあります。私が思うに坐禅は、

  • 寺院という非日常空間に自ら足を運び
  • 生活上のあらゆる雑事から離れ
  • 姿勢を調えて自分の命のはたらきに向き合う

という行いです。

りき丸
この行いを通じて「身も心も天地自然と一体の、ひとつながりの中で生かされている自己である」という自分の命の本来の姿がいきいきと感じられるのが坐禅であると捉えています。

自分という存在そのものに深く向き合うことのできる行いといえます。

うちのお寺の毎朝のお勤めも坐禅から始まります。とても穏やかな気持ちで一日を始めることができています。

曹洞宗の公式サイト「曹洞禅ネット」曹洞宗の坐禅の記事がありますのでご覧ください。昭和期を代表する禅僧・澤木興道老師のお寺として知られる安泰寺のホームページでも坐禅について詳しく紹介されています。

Q,呼吸はどのようにするのですか。

呼吸については、仏教企画『曹洞禅グラフ』2017 秋号に掲載されました愛知県豊橋市一月院 藤井隆英師の『坐禅から学ぶ「行住坐臥」のレッスン3』に息の調え方(調息)とその根拠について詳細に書かれていましたので紹介します。

安楽な坐禅を導くキーとなるもの、それが呼吸です。呼吸と心の状態には密接な関係があります。呼吸をすると、肋骨下部に広がる横隔膜という筋肉が上下します。横隔膜の動きは自律神経と連動しております。自律神経とは、私たちの意思とは関係なく、心臓を動かしたり、呼吸や消化など内臓の働きをコントロールしている神経です。自律神経は、活動系神経である、緊張やストレス時に活発になり心拍を上げ呼吸を早く浅くする「交感神経」と、休息系である、睡眠中やリラックス時に活発になり心拍を下げ呼吸を遅く深くする「副交感神経」の2種類あり、通常はそれぞれ反対の作用をしながら、身心の健康を保つためバランスよく働いております。横隔膜は息を吸うと縮み交感神経を刺激し、吐くと緩み副交感神経を刺激します。坐禅時の呼吸は副交感神経優位です。すなわち吐く息が長く、全体としてゆっくりながれゆく呼吸です。

Q,どうやっても心を「無」の状態にできません…

「羊や牛をコントロールするには、広々とした、余裕のある草地に放すことです。
そして見守るのです。これが一番いいやり方です。無視することは、よくありません。それは一番よくないやりかたです。二番目に良くないのは、コントロールしようとすることです」

『禅マインドビギナーズマインド』鈴木俊隆

私自身、毎日心おだやかな坐禅ができているわけではなく、やはり身体の微細な変調に心の在り様が左右されるのを感じます。体調の優れない日は坐禅の時間がとても長く感じたりもします。

このような禅語があります。

「長空は白雲の飛ぶを礙(さまた)げず」

私たちが日頃、自分の心だと思っているものは「とてつもなく広大な大空に浮かぶ一つの白い雲」のようなものである。心というものの実態は、白雲のように慌ただしく右往左往する小さなものではなく、その存在を包み込む広大な大空のようなものだと仏教では考えます。

一般的に定義される「心」や「性格」というものは、仏教の世界から見ると外部からやってくる刺激・情報に対する反射作用です。

我々が「心」と名付けている「反射作用」は、我々の人生経験により作用の仕方は常に変化していきます。

生きている限り反射作用を無くすことは不可能ですよね。

大空は白雲の飛ぶのを妨げることはありません。

「心」がどのように動いて抑制が効かなくとも、正しい呼吸と姿勢をたよりにして、坐禅におまかせすれば良いのです。そうすれば自ずと安らかな境地に至っている自分に気づく事でしょう。