十勝監獄・帯広刑務所無縁物故者合葬の碑追弔会

本日は表題の法要が11時から緑ヶ丘墓地にて行われました。

帯広刑務所・帯広少年院教誨師会 会長小澤眞了師の発願で昨年から行われています。

帯広市の開拓は、明治期に静岡県の依田勉三氏が率いた晩成社により成し遂げられたと考えられがちです。先駆者として重要な人物であるのは間違いありませんが、実は晩成社の開拓は失敗続きでありました。唯一成功したのは途別の新田開発であったといいます。

晩成社の後、開拓の中心的な役割を果たしたのは、実は十勝監獄に収容された受刑者たちであったのです。

服役中に死亡し、引受人のいなかった者は誰にも手を合わせてもらえない無縁物故者となります。その遺骨を弔う合葬の碑に年に1度読経焼香し、開拓の感謝の思いを捧げる主旨のもと、今後も行われていくようです。多くの方に知ってほしい内容ですね。

神道・キリスト教・仏教・天理教などの宗教者が集まる帯広教誨師会と帯広刑務所が協働して行っています。

今年は曹洞宗式の法要で行うので私含め3名の曹洞宗僧侶で「施食(せじき)」という儀式次第にてご供養の読経をさせていただきました。

式次第。

導師を務められた芽室町S藤G秀老師。

倶会一処(くえいっしょ)と書かれた合葬の碑。「浄土でまた会いましょう」という意味だそうです。亡くなった人は皆、生前の行いの是非は関係ないという平等の精神も含んだ言葉であると僧侶Cafeのメンバー桃井先生が教えてくださいました。(ここの表現は定かではありません。ご了承ください)いい言葉ですね。

祭壇準備と費用は帯広公益社さんが全額負担してくださったそうです。