お寺とクリスマス

仏教国とクリスマス ~シリーズクリスマスを検証する その20~ ( クリスマス …

仏教国のメリークリスマス[from タイ]

他の宗教の良いところもちゃんと認めて、一緒にお祝いするっていう、懐の広さ。
日本人もそうだけど、私は、とても素晴らしい文化だと思う。
宗教同士でいがみあっているより、よっぽど良い。欧米の人が日本のクリスマスを目の当たりにすると、
「日本人がクリスマスをお祝いするなんておかしい」
「日本のクリスマスはヘン」
なんて意見を言う人も、たまにいるけど。….そういうのは、一神教であるキリスト教やイスラム教の、価値観の押しつけじゃないだろうか。
日本古来の宗教である神道は、多神教。
尊ぶべき神様はひとつじゃなく、

恋に悩むなら、縁結びの神様に。
受験に合格したいなら、学問の神様に。
故人の死後の幸福を願うなら、仏様に。
永遠の愛を誓うなら、キリスト様に。そのときの自分の気持ちに合った神様に、お祈りをする。
日本人はそれでいいんだと思う。
クリスマスも、自分たち流に楽しんで良いと思う!タイも、仏教だけじゃなく日常で他の宗教とふれあう機会が多いので、日本人に感覚が少し近いのかもしれない。
仏教とは関係ない、土地の神様にお祈りする習慣もあるし。世界中が、日本やタイみたいになればいいのにね。
さらには、クリスマスだけじゃなく、ラマダン明けも、みんなで一緒にお祝いできるような世界になったらいいな。

引用元:仏教国のメリークリスマス[from タイ]

12月はお寺ヨガの夜にクリスマスツリーを出しました。

日本に伝わってきた仏教(大乗仏教)を象徴する思想は「自利利他(じりりた)

自分自身の心の救済だけではなく、他者を尊重するいたわりの心を育むことを重要視しています。これはそのまま「坐禅をする意義」といってもいいでしょう。

自分を救済する「智慧」、他者に向ける「慈悲」の二つが大乗仏教の根幹にあります。

禅僧が仏を拝むというのは

坐禅は自分自身を対象とした行いです。坐禅中は礼拝、読経など行いません。意識を向ける先は「自分のいのちが存在している事実」のみ。

そしてこれは他宗教との大きな違いだと感じているのですが、仏像に礼拝する時も、仏像という偶像を崇拝しているのではないのです。“ホトケ”という、神様のような超越的な存在がこの世のどこかに実在するからあなたを救ってくださるから敬いなさいよ、というようなことではありません。それは一神教の考え方です。

仏像に対して一心に礼拝するときに、自分と仏像が共鳴する。自己を忘れ、自分を投げ出して礼拝するときに自分と仏像が一体となる。そのとき初めて、仏像がお釈迦様となり、私の心とひとつになるというのです。

礼拝偈には「能礼所礼性空寂 自身他身体無二」という一文がありますが上記のことを表した言葉です。(検索していただくと同じような解説が出てきます)

我々が仏を拝む時は、拝む行為を通じて自分自身を見ているのです。坐禅も礼拝も、自己の全存在を明け渡して行う中で「感謝の気持ちに包まれ(自利)、他者へのいたわり(利他)に満ちた心を備えた自分に気づくことができるものです。

宗教の存在意義とは

私が坐禅会で「宗教が人々の対立原因となるなら宗教自体なくなった方が良い」と話すのをお聞きになったことがある方も多いかと思います。

心を救うはずの宗教が国を分断し、心の壁を作り出し、人々の対立を生み出す。馬鹿げていると思いませんか。

そう感じるのは私が(ほぼ)単一民族で成り立ち、異文化との衝突を経験したことのない現代日本人だからかもしれませんが…

宗教誕生の背景には、その民族の苦難の歴史であったり複雑な事情が絡んでいます。

しかし仏教においては、お釈迦様本人が心の平安を得るために王子の身分を捨てたところから始まり、弟子たちと生活のルールを定めて一緒に暮らしたという「日常生活の実践」を重視する宗教です。その実践が心の安らぎであるというのがお釈迦様の教えです。

さらに言えば、達磨大師が中国に伝えた禅の世界には「廓然無聖(かくねんむしょう)」という言葉があります。世界のあらゆる事象には本質的には聖も俗もなく、貴賎もなく、賢愚もなく、善悪もない。そういった二元対立を作り出しているのは人間自身なのであって、自他の対立を解消し、生きとし生けるものの幸福を願うのが禅僧の本来の生き方であると思います。

幸せなことに日本の仏教は他宗教と対立する要素がありません。特定の神を祀るわけでもなく、日本に伝来して以来国から保護され、民族結束の役割を担わされてきた悲しい歴史があるわけでもないから、他の宗教に寛容でいられます。

 慈乗・曹渓宗総務院長(前列右から4人目)と曹渓寺児童合唱団が17日、ソウル曹渓寺でクリスマスツリーを点灯した後、拍手している。 

  慈乗僧侶はこの日、お祝いのメッセージで、「右手の慈悲を左手が自ずとする知恵は、この地に幸福と平和をもたらし、功徳を施すことになる。イエス様が誕生された日、この地が愛と慈悲の光に満たされることを祈る」と述べた。

私は日本の宗教者はもっと、寛容な宗教観を表現していくべきであると考えています。

毎年12月にはお寺の廊下にクリスマスツリーを出しますが、このような考えがあってのことですのでお檀家の皆様はどうか驚かないでくださいね。