曹洞宗の樺太開教

寺務所で保管している古い資料を、保存を兼ねて公開いたします。

ご興味ありましたらご覧ください。樺太の開教に永祥寺開創の住職が携わっていた記録です。

曹洞宗における樺太開教は、明治38年(1905)開教師織田活道が単独視察に赴いたのに端を発し、同年12月6日、宗議会において樺太開教の件を有田法宗議員等によって明治39年度に樺太のマルサコフ港およびウラジミロフカの2か所に開教所を設置する件が建議可決されるにおよんで、ここに樺太開教第一歩がしるされた。

規模としては2か所とも仮本堂40坪、開教師1人、使用人1人であることを予定した。翌年5月22日に樺太開教に先立って同島布教準備のため、北海道小樽龍徳寺住職有田法宗と帯広町永祥寺住職織田活道が視察員に任命され、全島の要部を視察してコルサコフ、ウラジミロフカ、マウカの3市街に敷地の貸付を申請する見込みをつけたのである。同年6月、大泊に楠渓寺が織田活道によって創立されている。楠渓寺は最初、大泊布教所として創立され、後の寺号公称認可により大正元年、楠渓寺となったのである。

これを機に同年9月、真岡に同慶寺が粟谷童立によって創立されている。翌年の明治40年(1907)には豊原町に織田活道によって景徳寺が創立された。このような活発な布教活動に対して、宗務院は明治41年(1908)一月、「曹洞宗樺太開教規定」を制定し、樺太開教に本腰を入れ始めたのである。

原本紛失のため出典不明
曹洞宗ウラジミロフカ布教所
駐屯軍写真班撮影:曹洞宗樺太開教事務所
樺太真岡港曹洞宗布教所