ご家族が亡くなられた後は、僧侶がご自宅に伺い最初のご供養「枕経(まくらぎょう)」をお勤めいたします。
それからお通夜と葬儀があり、初七日から始まり毎週毎週のお勤めがあり、七週目の満中陰法要(いわゆる四十九日法要)を迎えます。その過程で少しずつ故人の死の事実が身心になじみ受け入れられていくことと思います。
その期間の過ごし方について、ひとつ僧侶の間でも意見の分かれる事があります。
「四十九日まで仏壇の扉は閉じるのか、開けたままで良いのか」です。
「どっちでも良い」と思われる方も多いかもしれませんが、普段は開いたままの仏壇をこの期間だけは閉じる習慣の地域もあるそうで、故人の供養を引き受ける我々僧侶としてはおろそかにできない部分です。
私の知るところによると、「仏壇は閉じるべき」という考え方の根拠は「故人の魂が成仏するまでの期間、故人のもとに仏壇という仏の世界があると、そこに心惹かれて残ってしまう(成仏できない)」ということです。中陰の期間は故人の供養に集中するべきであるという考えもあるようです。
また、扉は開けておくべきだという考えの理由は「亡くなった方がご家庭の仏様に迎え入れていただくためには仏壇は開けておいた方が良い」ということです。
それぞれ、こうした方が故人の為であるという思いからのことです。一方を切り捨ててどちらかに統一するという事はすべきではありません。
ですが、お檀家の皆様が迷われてはいけないので私の意見を申し上げます。
どうするか迷ったら開けておいて下さい。
先日、母が亡くなりました。30年以上統合失調症を患い、二度の自殺未遂を経て自死しました。
警察官から「死に至る原因として思い当たる事はないか」など根掘り葉掘り聞き取りを受けて、夜、検死が済み自宅に運ばれた母に、私は合掌できませんでした。合掌をしたら母が亡くなったことを受け入れることになるからです。
母の遺体が仏間に運ばれてきたとき私は「どうかお釈迦様に母を守ってもらいたい」と思い、仏壇の扉をいつもより大きく開けました。
しかし、翌朝お経を上げに来てくださったある僧侶から「仏壇は閉じるのが宗門の作法に適うので閉じて下さい」との話があり閉じることにしました。
閉じたまましばらく過ごしていましたが、どうしても「これでは母が我が家の仏壇から受け入れてもらえていない」「お釈迦様に受け入れられていない」という思いが溢れてたまらず夜中に仏壇を開けることにしました。
地域によって差がありそれぞれ信念を持って行われていることなのでしょうが、自死という形で亡くなった母を弔う時に、仏壇を閉めておくのが故人の成仏の助けになるとは全く思えませんでした。
加えて、私の母への思いや私の宗教観が否定されてしまった悔しさが強く残ることになってしまいました。
永祥寺のお檀家の方でもし仏壇の開け閉めについて迷われることがありましたら私の話を参考にしていただきたいと思います。