【曹洞宗のお葬式】引導とたいまつの起源

お葬式の中で導師が緑色の棒を持ちぐるぐる回す作法があるのをご存知でしょうか。あの緑色の棒はたいまつを模したものです。引導という儀式の際に行なっています。

ここでたいまつと引導の起源について紹介します。

増一阿含経の記述

たいまつと引導(故人の冥福を願って唱える言葉のこと)の起源はお釈迦さまの時代に既に見られます。

⑴引導の起源は増一阿含経に「その時に世尊、栴檀の香木をもって大愛道比丘尼(釈尊の継母)の身の上につけ引導していわく『一切行は無常なり生ずれば必ず尽くる事あり 生ずれば即ち死せじ、この滅を最楽となす』と」。即ち諸行無常、生者必滅の真理を解き、寂滅を楽となすとの教えである。これが仏教における引導の起源だという。

釈尊が自ら舎利(遺骨)を供養し、その後起塔したという場面である。引導が行われた場所は比丘尼の寺だった。時期は釈尊80歳の頃。比丘尼が92歳。偈文は「一切行無常、 生者必有尽、 不生即不死、此滅為最楽」

「中央学術研究所紀要」モノグラフ篇 No.10

【論文10】Mahāpajāpatī Gotamī の生涯と比丘尼サンガの形成    森 章司・本澤綱夫

http://www.sakya-muni.jp/monograph/10/10-1/7-5.html

「お釈迦様は弟子に対して葬儀に関わってはいけないと説いた」と言われているのを見かけることがありますが、これは実際のところは阿羅漢果に至っていない阿難尊者一人に向けた言葉であり、これをもって教団全体に葬儀に関わってはいけないと説いたと解釈すると上記の増一阿含経の内容と矛盾します。この引用部分以外にも初期仏教における遺体供養や先祖供養についての数本の研究レポートがネットに公開されていますので興味ある方は探してみてください。

お釈迦さま自身が遺体の供養を行なった描写や、在家信者の遺体供養を弟子に命じたり遺骨を集めて起塔したという、葬儀や遺骨の扱いに関わっていたことがわかる記述です。

景徳伝燈録の記述

⑵中国では百丈懐海禅師の頃から引導があったと伝えられ、たいまつを拈じて大喝するのは黄檗の希運禅師に始まるという。『景徳伝燈録』に「禅師は幼少出家し江西にあること20年、たまたま郷里に帰り母に会ったが、母は失明しており、我が子の顔が見えず、どなたですかと問うた。禅師は母の恩愛に迷うことを慮り、ただ江西のものだと答えて辞した。禅師は途中、旧友に会い、母に名を告げずに別れてきたことを話した。この友人から話を聞いた母は狂喜して禅師のあとを追い、清福の渡場(船の発着所)で足を滑らせ、河中に落ちた。その時禅師は船上で母の声に驚き、たいまつを取って、見えれば母は既に死んでいた。禅師は大声を発して『一子出家すれば九族天に生ず。もし生ぜずんば諸仏の妄語なり』の偈文を唱え、大喝してたいまつを挙した。すると母は、この引導の功徳により夜摩天に生じた」という。

⑶日本における引導の起源について『竜華』によれば「引導は中国の禅宗で儀式化してきた。日本では北条市から足利時代に禅宗の葬儀の特色となり、江戸時代には真宗を除く各宗とも、引導に似たことをやるようになった」と述べている。

引用:曹洞宗信者宝典より

増一阿含経に記述されたお釈迦さまの引導に近い作法によって供養する場面です。