世界で流行している「マインドフルネス」とは

思考の整理・感情の客観視・ストレスの軽減・記憶力向上・慈悲心の増大

グーグルなど情報技術産業の世界的な企業が取り組んでいることで急速に知名度が高まった「マインドフルネス」をご存知でしょうか。

この言葉の提唱者は心理学者ジョン・カバット・ジン氏。

マインドフルネスを日本語に直訳すると「心がいきわたっていること」となります。ジョン・カバット・ジン氏は、曹洞宗の道元禅師の思想や、1959年にアメリカに渡った鈴木俊隆老師という曹洞宗僧侶の著書に強い影響を受け、また坐禅や上座部仏教の瞑想の実践をしていく中で、パーリ語の「サティ(気づき)」の英訳として考案された言葉です。

曹洞宗の禅を説いた鈴木俊隆老師の著書『禅マインド ビギナーズ・マインド』はスティーブ・ジョブズも愛読したことで有名になりました。ものすごく読みやすいので超おすすめです。毎日すこしずつ噛みしめるように読んでいくのが良いと思います。

話が逸れました。仏教の瞑想中に現れる「気づき」とは「今この瞬間に起こっているあらゆる現象に、平静かつ無評価に気づくことができる心の状態」のことを指します。

マインドフルネスの基本は「呼吸」。呼吸に集中することによって思考の乱れが静まり、過去の苦しい体験や未来への不安から離れる時間を増やすことができます。さらに、自分自身の感情の起伏を、離れた場所から眺めるような「思考の脱中心化(メタ認知的気づき)」の習慣を身につけることができるというものです。

心理学者ジョン・カバット・ジン氏によって考案されたマインドフルネスストレス低減法(MBSR)は8週間のプログラムで、ヨガの実践と仏教の瞑想を基本に構成されています。これがストレスの軽減に大きな効果があることが明らかになっています。

マインドフルネスストレス低減法の内容は仏教とヨガの実践なのですが、思想信条の違いに関わらず誰でも実践できるようにするために、仏教思想を強調せず、健康法として実践されています。さらにこの手法を応用して、うつ病の再発予防に効果がある「マインドフルネス認知療法(MBCT)」も開発されています。


禅・瞑想・ヨガとは

東洋思想には「精神の開放」を表す言葉がたくさん出て来ます。

瞑想

瞑想は明治時代に井上哲次郎という欧米哲学者らがmeditationの和訳として考案した新しい言葉です。

昨今は仏教で行われている「思考を一点集中させる修行」やお釈迦様が実践した「心と体の動きを観察する修行」のふたつを指す言葉となっています。お釈迦様が実践した瞑想はヴィパッサナー瞑想といい、心と体の状態を実況中継するような手法が特徴だそうです。呼吸に集中し、実況中継することで思考が入り込めなくなり、結果として自分への執着を離れていくことができるというトレーニングです。

このヴィパッサナー瞑想というトレーニングの意義は日本テーラワーダ仏教協会アルボムッレ・スマナサーラ長老によると、「脳の作りが変わり、ものごとに執着しない、怒りに流されない人間に変わっていくメソッド」であるとのこと。

仏教以前からの伝統的修行法ですが、残念ながらオウム真理教の事件後は「あやしい行為」のイメージがついてしまった言葉です。もし明治時代に和訳として瞑想ではなく「禅」が当てられていたら、今ごろ曹洞宗もあやしい宗教扱いを受けていたかもしれませんね…(ーー;)

ちなみにテーラワーダ仏教とはタイ・ミャンマー・スリランカに伝わった上座部仏教のことです。スマナサーラ長老は「坐禅と瞑想の違いは何かとか、禅宗とか上座部とかいう立場から離れて宗派をいっそ捨ててしまった方が真理に近づける」とお話になっています(こころの問題研究シンポジウム「只管打坐とマインドフルネスの対話」より)。

ヨガ(ヨーガ)

ヨガは健康面のメリットばかり強調されがちですが、「心の統一・統一の手段・統一によって得られた心の世界」の概念をあらわす大きな言葉です。4000年の歴史があり、インドのあらゆる瞑想法・お釈迦様の瞑想によって誕生した仏教を内包し「身と心はつながっている」という東洋思想全体そのものです。

ヨガにはたくさん種類がありまして、なかには日常生活そのものを心の平安への道ととらえる日本の禅に近い考え方もありますので紹介します。

カルマ・ヨーガ

倫理的な行為によって実現されるヨーガ。人間それぞれに与えられた社会的な地位や職業における倫理的な行いを通じて、ヨーガが実践できるというものである。日本の鈴木正三と通ずるところがある。

『仏教とヨーガ』p48より

禅は心が静寂な状態を表す言葉です。

お釈迦様が悟りを開かれた時に行われていたのはヴィパッサナー瞑想という座って行うヨガでした。お釈迦様が亡くなられて以後、教団は上座部仏教(タイ・ミャンマー・スリランカに)から分かれて大乗仏教(ベトナム・中国・朝鮮半島・日本に)が生まれました。

飛鳥時代に日本に伝わった仏教は大乗仏教です。日本の禅も大乗仏教です。

曹洞宗の坐禅はお釈迦様の瞑想に忠実であるといいますが、ヴィパッサナー瞑想のように実況中継を行うやりかたではないと思います。

曹洞宗の道元禅師によると坐禅の心構えは、姿勢と呼吸の二つを調えることに意識を向けるだけです。そうすれば自ずと心が調うとされます。

禅宗は坐禅の実践で身心が脱落した境地を目指しており、自分の存在がどういうものなのかが坐禅を通して実感されます。

それは「自分の存在というのは実体のないものであり、この瞬間にしか存在しないもので、周囲との関係性によって形成されるだけの曖昧なもの」ということです。自分の「心」を離れたところから見つめる視点が生まれ、自分への執着心が無くなり、他者との関係性に身を任せて存在させていただいていることへの感謝の念に包まれます。だいたいこういう心境を「悟り」というのだと私は解釈しています。

坐禅も瞑想も、自分の心の救済が目的なのは同じです。曹洞宗の禅はさらに、慎み深い生活を送ることと、坐禅によって育まれた慈悲心を他者に向けて生活していくことを強調しています。

どんな宗教も究極の目的は「心の平安」です。「こまかい違いを探すより、共通項を見出して互いに歩み寄る」というのは人と人の付き合いも一緒。これからの時代の宗教者は人に教義を説くにあたっては、そういう感覚がより求められていくことでしょう。


以上、夏に配布する永祥寺だよりに載せる文章として書いていたのですが、筆に勢いがでてしまい収まらなくなったのでホームページに投稿した次第です。ここまでご覧いただきありがとうございました( ^∀^)

最近坐禅会で使っている本の一部です。

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